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四日目 軍艦島


2022.8.14


 今日は今回の長崎旅行のメインイベント、軍艦島観光の日です。楽しみですなぁ。ただ、数日前から上陸できない状態が続いているので、今日はどうだろう?という心配もあります。



朝食
 6:30起床。今日は天気が良いようです。窓から長崎市街地を眺める。軍艦島に上陸できるかな?

 さて、着替えを済ませて朝食会場へ行こう。
 6:50、朝食会場に到着。ビュッフェスタイルです。こりゃ、食べ過ぎちゃうな。三人それぞれ好きなものを取りに行ってきました。
 クマ兄さんは明太子とかお寿司とか天ぷらとか。ペンギン姉さんは少し野菜が多めかな。ネコ娘は茶色ばっかりでした。
 ネコ娘よ。パンケーキと一緒に食べているのは何だい?フルーツかと思ったら、温泉たまごがモリモリ入ってるよ。これはデザートかい?



 朝からもりもりご飯を食べました。それではチェックアウトしましょう。

 8:00過ぎ、出発。



長崎電軌
 長崎市大波止付近のコインパーキングに車を停める。ここから路面電車に乗ってグラバー園へ移動します。浜町アーケード駅まで歩いて、路面電車に乗りました。
 最近のネコ娘は電車に乗っても喜びません。毎日、あいの風とやま鉄道で高校に通学しているからかな。路面電車に乗っても反応が薄い。喜んでいるのはクマ兄さんだけ。
 大浦天主堂駅で下車。ここから歩いて大浦天主堂方面へ。グラバー通りを歩いて行くと、右手に昨日の夕飯を食べた四海樓があります。今日は食べないけどね。
 歩いていたら国際電信発祥の地、長崎電信創業の地の碑がありました。1851年、英国人がドーバー海峡に世界最初の海底ケーブルを付設して以降、海底ケーブルは世界中に発達して行ったそうです。1871年、長崎~上海、長崎~ウラジオストック間に海底電信線が開通し、日本と世界が初めて世界と即時に情報交換できるようになったそうです。翌1872年に長崎~東京線が開通。そんな記念の地がここなんだそうです。
 さらにグラバー通りを歩いて行くとボウリング日本発祥地の碑もありました。1861年、長崎の出島にボウリングサロンがオープンしたのが始まりだそうです。なぜここに碑があるのか分からないけど。

 このグラバー通り沿いの建物はヨーロッパの街並み風になっています。



大浦天主堂
 9:00、グラバー通りの先にある大浦天主堂に到着。久しぶりにやってきました。今まで中に入ったことはありません。今回も入りませんでした。だって、拝観料が1,000円もかかるんだもん。
 外側だけをじっくりと見学しておきました。日本にあるキリスト教の建築物としては最古のものだそうです。1864年に竣工したんだって。1953年には国宝に指定されています。爆心地からは距離が離れていたので原爆投下で破損こそしたものの倒壊はしなかったんだって。



グラバー園
 9:05、グラバー園に入園しますよ。階段を登って料金所へ向かう。と、その前に休憩&水分補給。今日は暑いからね。こまめに水分補給をしないと倒れちゃう。
 水分をとって階段を上る。写真では爽やかな感じだけど、猛暑です。
 料金所の手前からエスカレーターがありました。これでちょっと楽ができます。長崎さるく、っていうゆるキャラがいましたのでクマ兄さんとペンギン姉さんで記念撮影。ネコ娘は写真に入ってくれません。
 見晴らしの良いところに電話ボックスがありました。ちょっとだけ中を覗いてみようかな、と思ったけど暑そうだったからやめときました。ここから先は動く歩道があります。ちょっと楽。暑いけど。



旧三菱第2ドックハウス
 最初の建物は旧三菱第2ドックハウス。ここは1896年に三菱造船所の第2ドッグの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年にこの場所へ移築されたそうです。
 室内から外を眺めると長崎港が見渡せます。この場所、すごく良い。
 これはもがみ型護衛艦の3番艦、のしろですね。2021年6月22日に進水して艤装工事中。12月に就航予定です。
 こちらは5番艦のやはぎ。こちらも2022目6月23日に進水して艤装工事中。もがみ型護衛艦はここ三菱重工長崎造船所で大量生産中。すごい勢いです。
 旧三菱第2ドックハウスの前の庭には池が作られています。涼しげですねぇ。池の先に海が見えて不思議な光景です。



旧ウォーカー住宅
 続いて旧ウォーカー住宅へ。ウォーカー商会を設立したロバート・N・ウォーカーさんの二男ロバート二世の家だって。1890年頃の建物です。
 左は応接室?ソファーとテーブルがあります。リビングかなぁ。右は仕事部屋っぽいですね。旅行かばんや狩猟用具がテーブルの上に展示してありました。右端にはミシンもありますね。
 旧ウォーカー住宅はこぢんまりとしたお宅でした。



旧リンガー住宅
 移動中、石の門がありました。これ、フリーメイソン・ロッジの門っていうそうです。フリーメイソンは中世イギリスで数々の大聖堂を建てた石工達によって始められた友愛団体なんだそう。長崎のフリーメイソンのロッジ(支部)は1884年に長崎造船所に雇われた外国人技師たちによって発足したそうです。なにやら怪しい秘密結社のことだと思ってたよ。
 旧リンガー住宅です。グラバー紹介で働いた後、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーさんのお宅です。ベランダの石はウラジオストックから運んだ御影石なんだって。
 応接室には立派なソファーとオルゴールやピアノが置いてありました。かなり優雅な部屋です。ここでのんびり紅茶でも・・・。
 食器も立派ですねぇ。今も昔もお金持ちは豪華な食器で食事をするんですね。リンガーハットっていう長崎ちゃんぽんのお店も、このフレデリック・リンガーさんの名前をとっているらしいですよ。
 さて、ネコ娘、暑くて歩きたくないってことでリンガーさんちの庭のベンチで休憩しています。無理に歩かせると機嫌が悪くなりそうなので自由にさせておこう。



旧オルト住宅
 製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトさんのお宅です。オルト商会を設立した人で1865年にこの家を建てたそうです。この建物は大浦天主堂を建築した人が設計したそうです。
 ここは応接室。ソファが豪華です。今でも十分使えるようなレベル。右はダイニングかな。大きなお椀にお菓子などを入れていたみたい。赤いじゅうたんが豪華さをアップさせてます。
 暖炉かな?その上には大きな鏡。明治時代にこんなに大きなガラスがあったんだ。その昔、それこそ明治とか大正のころはガラスの出来がその国の工業力を示している、と言われたこともあったらしい。
 庭に出ると大きな蘇鉄がありました。この蘇鉄は立派ですね。
 旧オルト住宅の前にある旧スチイル記念学校。この学校は英国領事館跡地に建てられたそうです。1887年開校。内部は休憩所になっていました。ゆっくりしようと思ったら、蚊がたくさんいたのですぐに退散。
 ということで、来た道を帰ります。
 こちらの白い石像はプッチーニさん。オペラ「マダムバタフライ」の作曲家らしいです。マダムバタフライっていうオペラは長崎が舞台になっているんだって。有名らしい。クマ兄さんは知らないけれど。



旧自由亭
 現在はカフェとして使われている旧自由亭。草野丈吉さんが1863年に日本人初の西洋料理専門店を開業したそうです。外国人接待などに使われたんだって。
 旧自由亭から下っていくと日本最初期のアスファルト道路が現れました。ひび割れていて石畳のようにも見えますが、アスファルトの道路なんだって。


 
旧グラバー住宅
 それではグラバー園のメインスポット、旧グラバー住宅に行ってみます。入口の門からちょっとオシャレですね。
 内装は結構明るい配色。あと、天井が高いね。壁には漆喰が使われているそうで、これによって明るく感じるのかもしれませんね。実はこの建物、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録されているそうです。
 漆喰の壁、天井は板張りなんだけどその上に紙を貼っているそうです。なんともオシャレな建物ですねぇ。
 ここは厨房かな。床にはレンガを敷き詰めて、かまどと流しが設置されています。お客さんをもてなすための料理もここで作っていたそうです。
 左はお客さんを迎える場所かな?そして右は家族用?二ヵ所もダイニングがありました。左の方が明るくて良いね。
 こちらは寝室でしょう。お客様用なのか家族用なのか分かりませんが、布団の模様が和風です。ベッドに和風柄、今風ですね。ということで、旧グラバー住宅の見学は終了。ここが一番豪華でしたね。
 見晴らしの良い場所にグラバーさんの胸像がありました。スコットランド出身だそうです。明治維新後も日本に居て、高島炭鉱の経営を行ったそうです。あと、現キリンビールホールディングスの基礎を気付いたので国産ビールの生みの親とも言われているんだって。



長崎伝統芸能館
 一通り見終わって、最後に入ったのが長崎伝統芸能館。長崎くんちに奉納される傘鉾が展示されています。
 長崎くんちは長崎市の諏訪神社に奉納する祭り。この傘鉾を先頭に諏訪神社の境内に進み、いろんな演技を奉納するそうです。
 左の龍は龍踊り(じゃおどり)というそうです。ホテルでも見たね。これも神様に奉納する演し物。

 長崎伝統芸能館の最後はお土産屋さん。ガンショーくんが売ってました。これ、軍艦島のゆるキャラです。



諏訪神社
 10:45、グラバー園を退園。グラバー通りへ向かう。この辺りには喫茶店やカステラ屋さんがあります。さて、スマホで調べると、近くに諏訪神社というのがあるね。ちょっと行ってみよう。
 国際あいさつ通りを進むと諏訪神社がありました。でも、ここは長崎くんちが奉納される諏訪神社ではなさそう。ここは大浦諏訪神社っていうらしいです。暑いのと階段が多くて階段下から参拝することにし、拝殿まではいきませんでした。暑い、暑い。



お土産
 では、グラバー通りに戻ってお土産を買おう。長崎は今日で最後だからね。ここグラバー通りのお土産屋さんで存分に長崎土産を買うのですよ。そして、長崎土産といったらカステラだよね。いろんな種類のカステラを買ってきました。
 このお土産屋さん、店内にカステラ神社なるものがありました。当然、参拝します。どんな御利益があるんだろう。



かき氷
 このお土産屋さん、スナックコーナーも有しておりまして、お土産をたくさん買ったから割引券をくれました。同じお店でお昼ご飯にするのもなぁ・・・と思って、他のお店も見に行ったんだけど、朝食を食べ過ぎて昼食があまり食べられそうになかったのと、午後の予約時間に間に合わなくなりそうだったので、ここのスナックコーナーでかき氷を食べることにしました。
 11:25、シロップたっぷりのかき氷を購入。冷たすぎてなかなか食べられない。けれど体が冷えて気持ちいい。暑い日にかき氷はウマいね。



 さて、かき氷を食べ終えた後、長崎港へ移動です。近くからバスが出ているはずなんだよね。だけどさ、バス停が見つけられない。どうしようかな、タクシー使うか?と思っていたら目の前にタクシーが来たので捕まえちゃいました。プライベートでタクシー移動って珍しい。



長崎港ターミナル
 12:20、長崎港ターミナルに到着。まずはコインロッカーにお土産を投入。そして、乗船手続きをする。さぁ、今回の長崎旅行のメインイベントだ。
 乗船手続きを終えたら桟橋へ。乗船する船は自由席。早いもの順で席を確保するのです。桟橋に到着するとすでに並んでいる人がたくさんいました。
 本日の軍艦島ツアーの船はマルベージャ3。221人が定員の船。これで軍艦島まで運んでくれるはずです。右は長崎港ターミナル。変わった形をしているけれど、何をモチーフにしているんだろう。
 暑いのとコロナ対策で皆さんの距離は長め。これでコロナは回避できるはず。それにしても暑い。

 12:40、乗船を開始しました。二階席の見晴らしがよい席を確保したかったんだけれど、どこから二階に上がれるのかよくわからない。で、乗船したらペンギン姉さん&ネコ娘、クマ兄さんの二組に分かれて二階への階段を探す。クマ兄さんが先に二階に上がれたので、三人分の席を確保。まぁまぁの席を確保できました。
 13:00、出港。向かい側に長崎出島ワーフが見えます。今日の夕飯はここで食べようかな、なんて思っていますが良いレストランはあるかな?お店の人が手を振って見送ってくれてました(右)。
 左は観光丸。やまさ海運が運行する長崎港めぐりの船です。一時間ほどで長崎港を巡るようです。右は啓風丸。気象庁が所有する海洋気象観測船。海上の観測によって気候への影響を把握する船だそうです。
 そんな長崎港をこのようなデッキから観光します。まぁまぁの席でしょ。一列目に座りたかったんだけど、ちょっと無理でした。でも、二階席が確保できただけヨカッタ。



長崎港観光
 長崎港を出発すると稲佐山がよく見えます。今回の旅行では稲佐山をよく見るなぁ。その手前に見えるのは三菱重工長崎造船所。超名門の造船所で世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産を有しています。その一つが右のジャイアント・カンチレバークレーン。なんと1909年に作られて、今でも現役のクレーンです。吊り上げ能力は150トン。イギリスのアップルビー社製らしいのですが、整備も三菱重工がやってるんだろうね。でないと、こんなに長く使えないはず。
 あれ?ジャイアント・カンチレバークレーンの横に新しい護衛艦がいるね。もがみ型護衛艦の三番艦、のしろだね。午前中、グラバー園から見かけたあの船です。まだ就役してないはず。(2022年12月15日に就役しました)
 左は三菱重工長崎造船所の本社ビルです。現在休館中のようですが資料館もあって見ごたえあるそうです。その先に第三ドッグが見えてきましたね。
 あれ・・・あきづき型に見えるけど、艦番号が書かれてませんね。長期間の整備をしているのでしょうか。さて、第三ドッグ(長崎造船所第三船渠)が近づいてまいりました。ここも世界遺産。全長222.2mで作られ、後に276.6mまで拡大されたドッグ。現在でも稼働中です。明治時代に作られたドッグの中で唯一稼働中なんだって。
 こちら第一ドッグ。
 第二ドッグはあの戦艦武蔵を作ったドッグなのです(左)。ここで作ったんだよ。右は第二バース。DOCKとBERTHってDOCKが船渠で船を建造したり、修理したりするところ。BERTHは船が停泊し、荷物を積み下ろしする場所だそう。
 こちらはケーブル敷設船きずな。海底通信ケーブルを修理したり敷設したりする船。NTTの関連会社が所有している船だそうで、2016年に竣工したんだって。結構新しい。
 13:10、女神大橋を通過。大型の客船も通過できるようにとても大きな橋として作られています。世界最大級の客船クリーン・メリー2も通れるんだって。すぐに岬のマリア像が見えてきます。一昨日訪れた場所ですね。船から見るとマリア像の奥に神ノ島教会も見えますね。
 反対側にとても大きな造船所が見えてきました。(株)大島造船所の香焼工場だそうです。もともとは三菱重工長崎造船所が所有していたそうですが、現在引き渡し中なんだって。2022年12月27日に引き渡しは完了だとか。LNG船とかばら積み貨物船を造船するんだって。
 沖合に出てくるとBULK SWEDENというばら積み貨物船ですね。シンガポール船籍だそうです。積み荷は何だろう。数か月後、この船を検索してみたらアメリカ東海岸のノーフォーク近辺に居ました。世界中を移動しているようです。
 続いて沖之島のカトリック馬込教会が見えてきました。ここ、大昔は橋が無かったので交通の便が悪く、キリシタンが潜伏するのにちょうど良い場所だったんだって。船からだととっても目立つけどね。
 高島が見えてきました。平地にマンション群が見えますね。公営住宅でしょうか。周囲が高島建設工業の建物に囲まれているので社宅?とりあえず現役のようです。この島も石炭が採れる島で、高島炭鉱で栄えたようです。1986年に閉山。



端島
 13:35、中の島の向こうに端島が見えてきました。
 ズームしてみると確かに軍艦に見えるね。戦艦土佐に似ているから軍艦島と呼ばれるようになった、という説があるようですが、こうやってみると確かに!と思う。
 丘の上にある建物は3号棟かな。幹部用の住宅で、なんと内風呂完備。右の多いな建物は70号棟と65号棟でしょう。半分くらいの高さの建物は69号棟かな。
 12:40、だいぶ端島に近づいてきました。さて、ここで波高を調べるようです。長崎市の条例で波高が50cmを超えると上陸できないんだって。しばらくたって、波高は53cmとの放送あり。上陸できないらしいです。この後、30分おきに調べてくれましたが波高が50cmを下回ることが無く、今日は上陸することができませんでした。



上陸ツアーから周遊ツアーに早変わり
 上陸できないことが確定したので、軍艦島周遊ツアーに切り替わりました。3cmに泣いた・・・。

 でもね、周遊ツアーだと座ったままでぐるっと一周回ってくれるので、これはこれでいろいろ見学できそうです。左の高い建物は65号棟。軍艦島で最大のアパート。鉄筋コンクリート造で鉱員住宅だったそうです。屋上は保育園だったそうです。10階建てなのにエレベーターは無いんだって。
 右はドルフィン桟橋周辺。波があと3cm小さければ、ここから上陸してたんだなぁ。
 左は70号棟。町立端島小中学校だった場所のアップ。屋上には木々が生え、窓枠は崩れています。右は3号とのアップ。幹部用の住宅だからか窓が大きい。
 祠も見えますね。ここには端島神社がありました。今でも残っているってことはコンクリート造りかな?右はベルトコンベアーの支柱跡。このコンベアーで石炭は貯炭場に運ばれ、その後に石炭運搬船に積み込まれたそうです。
 こちらは70号棟の屋上部分のアップ。屋上に何か建造物があったようですが、崩れてしまってますね。端島は1974年に閉山したそうですが、そのちょっと前の1970年に750人ほどの小中学生が通っていたそうです。
 左は68病棟かな?それが正しければ、ここは隔離病棟。軍艦島はとても人口密度が高く、最盛期の人口密度は世界一だったそうです。そんなところで病気が流行すると大変なことになるので、この隔離病棟に感染者を隔離したんだって。
 右は軍艦島の西側。ここは上陸ツアーだと見ることができない場所ですね、きっと。
 西側からも祠を眺める(左)。別の場所には灯台もありました。初代は1975年に作られたというから、軍艦島が無人島になってから作られたんだね。無人島になって真っ暗になってしまったので灯台を作ったそうです。
 61、60、59、16、51号棟あたりが密集しているエリア(左)。いずれも鉱員住宅。それぞれの棟に生協があったり売店があったり、共同浴場があったり。自分部屋がある棟だけでは生活できず、あちこちに通っていたようですね。
 13:55、軍艦島の南側に回ってきました。軍艦って感じがよくわかります。
 軍艦島の南端の鉱員住宅、30号棟。結構崩れてます。日本発の鉄筋コンクリート造アパートなんだって。1916年に建設されたってことなので100年以上前の建物です。鉄筋コンクリート造でも100年はもたないんだね。140戸も入っていたそうです。
 こちら3号棟の西側。幹部用の住宅だけあって、見晴らしの良い場所に立っていますね。
 完全に廃墟となっている鉱員住宅。こっそり幽霊が出てきそうな雰囲気だけど、さすがに幽霊も出なさそう。だって、建物は朽ちているけど、歴史的には華やかな場所だから。
 シーマン商会のさるくU号も上陸できなかったようです。お客さんのほとんどが展望デッキに上がって見学してますね。長崎港との往復時は椅子に座れるんだろうか。
 14:15、これにて軍艦島周遊クルーズは終了。30分ほど軍艦島を見学できました。上陸できなかったのは残念だけど、周囲をぐるっと見学できたので、これはこれで良かったかな。

 復路は爆睡でした。



帰港
 14:45、長崎港に戻ってきました。目を覚ますと目の前にモアイ像。あれ?なんでモアイ像?宇部三菱セメントさんが作ってるんだって。
 長崎港の東側には修船場が並んでいます。特に右の小菅修船場跡は日本初の近代的な修船場。奥にある建物に蒸気機関があって、船を引っ張り上げていたそうです。なんと1869年に作られたとか。
 1,000トン型巡視船、でじま。1998年竣工のベテラン巡視船。90口径35mm単装機銃と20mm多銃身機銃で不審船を撃退します。
 旧グラバー住宅の屋根も見えました。そろそろ軍艦島周遊ツアーも終わりです。



軍艦島の模型
 長崎港ターミナルのコインロッカーに預けた荷物を取りに行き・・・ふと見ると軍艦島の模型がありました。石炭ってあんな感じで出荷してたんだ!とよくわかる模型でした。
 さて、長崎港ターミナルを出発したら徒歩で駐車場を目指す。途中、新しい路面電車を眺めつつ20分ほどで到着。これにて長崎観光は終了です。

 15:50、長崎を出発。

 まだ明るい時間なので下道で鹿島市を目指す。



祐徳温泉宝乃湯
 17:50、鹿島市の祐徳温泉宝乃湯に到着。近くにコインランドリーがあるので洗濯物を突っ込んで、このお風呂にやってきました。

 お風呂でサッパリし、コインランドリーで洗濯物をキレイにし、夕飯は・・・いろいろ探したんだけど何が良いのか見つけられず。最終的にマクドナルドでハンバーガーでした。写真を撮るのさえ忘れた。

 食後、道の駅鹿島へ移動。今日はここで車中泊です。おやすみなさい。



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