三日目 長崎
2022.8.13
今日は長崎市観光です。天気も回復傾向です。ネコ娘が高校生になったので、原爆の勉強がメインなのです。 |
起床 |
6:45、道の駅夕陽が丘そとめで起床。ちょっと曇ってますが、今日は天気が良くなる予報。この道の駅には数台のキャンパーが停泊していました。
トイレで洗顔を済ませ、着替えて出発の準備を整える。 7:30、出発。 |
出津教会堂 |
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道の駅夕陽が丘そとめを出て、まずはすぐ近くの出津教会堂にやってきました。駐車場はあるんだけど、うちのリラックスワゴンだと入口がちょっと狭かった。ちょうど、地元のおばちゃんたちがお掃除を終えたところだったようです。
外観だけ見学してみよう。 |
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教会の裏側へ回って見る。二人の胸像とマタイ福音書25章40節の碑がありました。「わたしの兄弟である この最も 小さいものにしたのは、 わたしにしてくれた ことなのである。」って書いてあります。クマ兄さんには分からない・・・。 | |
左は教会堂の裏側。この後グルッと回って表側へ(右)。解説によるとここ出津教会堂は1879年に外海地区の司祭として赴任した、フランス人のマルコ・マリ・ド・ロ神父らによって設計、工事管理され、1882年に完成した建物だそうです。塔が二つある双塔っていう外観は珍しいらしい。この出津教会堂は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の「出津集落」の構成資産の一つだそうです。
7:45、出津教会堂を出発。 |
長崎原爆資料館 |
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8:45、長崎原爆資料館に到着。ネコ娘が生まれてから、原爆資料館は長崎も広島も封印していたんだけど、高校生になったんだから解禁でしょう。
ということで、駐車場に車を停め原爆資料館へ。駐車場は茶色の建物、長崎市平和会館の奥にありました。長崎市平和会館の前には原爆殉難教え子と教師の像がありました。 |
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それでは、原爆資料館に入りたいと思いますよ。ネコ娘はビックリしないかな? |
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入口から入ると、らせん状の通路を下っていきます。前には小学生っぽい子供たちもいますね、じゃ、高校生のネコ娘は大丈夫かな。 |
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入館料は200円/人。長崎市立の資料館です。ここで原爆の恐ろしさを学んで、戦争に巻き込まれないためにはどうしたらよいか考えよう。 |
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入館してすぐに展示してあったのが11時2分を示している柱時計。爆心地から約800m離れた山王神社近くの民家のもの。爆風で損傷して爆発の時間で止まっているそうです。 |
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ここは被爆した長崎市内を再現したエリア。鉄塔が倒れてきています。火の見やぐらだって。 |
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市内中学校の給水タンクの鉄骨もくにゃって曲がってます。これも爆風で曲がったみたい。よく倒れなかったね。 |
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左は爆心地から北に約600m離れたところにあった山里国民学校の裏門の門柱。階段は三菱長崎製鋼所の事務所ビルのもの。どちらも爆風で吹っ飛んだ感じです。 |
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浦上天主堂の側壁。爆風でレンガが崩れています。というより側壁だけ残ったんだそう。元々は高さ26mの双塔があって、東洋一の壮大さを誇った天主堂だったそうです。だけど、爆風により鐘楼ドームや双塔などが吹き飛ばされ、この側壁だけが残ったんだって。 |
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これはファットマンの実物大模型。重さ4.5tもあるそうです。威力はTNT火薬に換算して21kt相当。プルトニウムを使用した原子爆弾です。この原爆の塔かによって73,900人もの人が亡くなったそうです。 |
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左は民家の板壁にハシゴと人の影が写っているようす。あまりに強い熱線で、壁が炭化しているんだけど、ハシゴや人がいた部分は熱線を遮蔽し、写真のように板壁に影が写っているようです。
右は木の葉の影が写った壁。こちらも板壁に木々の葉が写っています。爆心地から1.4km離れたところでもこれだけの威力。 |
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左は瓦なんだけど、熱線の直射を受けて表面が溶けて泡立っています。爆心地に近いほど泡が大きいんだって。右は溶けた硬貨。 |
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左は爆心地から約400m離れたところで発見された瓶。6本が溶けてくっついています。瓶って1,600℃以上で溶けるらしいので、それ以上の温度になったってことらしい。右は弁当箱。中のお米が炭になっています。これは原爆の熱線の影響というより、その後の火災によるものらしい。
こんな大変な混乱の中、当時の国鉄は原爆投下から三時間後に救援列車を走らせたんだって。 他にも多くの展示があって、ビックリしたり驚かされたりすること多数の原爆資料館でした。原爆や水爆は使っちゃだめだよ。 |
浦上天主堂 |
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10:30、長崎原爆資料館から歩いてきて30分ほど、ようやく浦上天主堂が見えてきました。今日は暑くて暑くて歩くのは大変です。ペンギン姉さんとネコ娘は二人ともご機嫌斜め。
まずは浦上天主堂前のコンビニで少し涼を取る。体を冷やしてから再出発。 |
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こちらが現在の天主堂。現在のものは1980年に改修されたもの。改修前のものは戦後の1959年に作られたそうです。レンガの外壁には聖職者の顔が彫られているみたい。今日は教会内部の見学は止めておきました。 |
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外に展示してあったのは旧天主堂の石像達(左)。これらも被爆したものっぽいです。右は旧鐘楼。1925年に作られたもの。原爆の爆風によって天主堂の位置から崖下まで吹っ飛んだそうです。被爆の凄まじさを後世に伝えるべく、この場所に残されたんだって。 |
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敷地内に原爆遺物展示室というのがあります。入館無料。ここは被爆の記録を残すため、遺品などを展示しています。燈台(左)は祭壇の上に置かれていたもの。大きく曲がっているのは爆風の影響でしょうか。右は十字架に貼り付けられたキリスト。これらは天草の石仏師が彫ったものだそうです。これらの一部が天主堂の外壁に取り付けられているんだって。
10:50、これにて浦上天主堂の見学は終了。では、これから少し歩きますよ。 |
山王神社二の鳥居 |
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11:10、山王神社二の鳥居に到着。20分ほど歩いてきたのでかなり疲れた、というより暑かった。ネコ娘の機嫌がすこぶる悪いです。階段を登って見に行こう。 |
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一本柱鳥居とも呼ばれる山王神社の二の鳥居。原爆の爆風によって、片側が吹き飛んだそうです。残った片側が今でも立ってるというのが凄い。吹き飛んだ部分は道路の横に保管されています。山王神社の鳥居は四の鳥居まであったそうですが、三、四の鳥居は原爆で損壊。一の鳥居は原爆には耐えたそうですが、交通事故で倒壊ということで、この二の鳥居だけが残ったそうです。
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山王神社 |
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すぐ東側にある山王神社にも立ち寄ってみます。参道には大きな木が二本立っています。 |
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この大きな木は楠。樹齢は400~500年と言われていますので、原爆の爆風や熱線にも耐えた木です。皮が黒い部分は被爆の痕だとか。一時はほぼ枯れてしまったこともあるようですが、なんとか持ちこたえたそうです。樹齢が樹齢なのであちこち治療をした跡がありますが、それでも元気に葉が茂ってますね。福山雅治さんの「クスノキ」という曲のモデルになった木だそうです。 |
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それでは参拝しましょ。参道を進み、手水舎でお清め。この手水舎は大きな石をくり抜いて作ってます。石なんだけど、年輪みたいな模様は何だろう? |
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拝殿にお参りします。拝殿はわりと新しい感じ。
それでは・・・お昼ご飯を食べに行こう。 |
タンゲ食堂 |
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今日のお昼ご飯はトルコライスを食べたいと思っておりました。山王神社から車を停めている長崎原爆資料館の間でトルコライスを食べられるところは無いかな?とスマホで検索してみたんだけど、なかなか見つからず。最終的にヒットしたのは長崎原爆資料館のちょっと先にあったタンゲ食堂でした。 山王神社から20分ほど歩いて到着。おじさん二人?で営業している食堂のようです。夜は飲み屋かな? |
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注文して15分ほどで料理が運ばれてきました。ネコ娘はトルコライスではなく、チキン南蛮定食。なんと!500円です。ちょっと小さいかもしれないけれど、ランチにはちょうどいいサイズ。揚げたてです。 |
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こちらはトルコライス。680円でした。ご飯はドライカレーとチャーハンから選べます。ペンギン姉さんがドライカレー、クマ兄さんはチャーハンにしてみました。ケチャップたっぷりのスパゲッティが主張強め。コスパ最高で美味しいトルコライスでした。
お腹もいっぱいになったので、午後はちょっと南の方にドライブしてみようと思います。 長崎原爆資料館を出発し、長崎市内を南下。国道499号線をさらに南下して行きます。途中、ショッピングモールに寄って、ネコ娘の靴を買う。壊れたらしい。 |
夫婦岩 |
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国道499号線を走っていたら夫婦岩の看板を発見。車を駐車場に停めて夫婦岩をパチリ。すると、奥に軍艦島が見えるじゃないですか。 |
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まずは夫婦岩を観察する。左の岩の上には鳥居がありますね。そして、軍艦島をズーム。正式な名前は端島。ここから見たら本当に軍艦みたいに見えるね。実は、明日軍艦島ツアーに申し込んでいるんです。渡れると良いなぁ。 |
軍艦島資料館 |
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14:00、長崎のもざき恐竜パークに到着。ここには軍艦島資料館や長崎市恐竜博物館がある公園になっています。まずは軍艦島資料館を見学してみます。 |
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入館料は200円。割とアフォーダブル。中の展示はパネルがほとんどだけど、映像による軍艦島の紹介などもありました。明日、軍艦島ツアーに参加するので、ここで予習をしておきます。内部は写真撮影禁止でした。 |
長崎市恐竜博物館 |
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14:50、長崎市恐竜博物館へ行ってみます。ここは事前に予約していました。コロナ禍での博物館は事前予約が必要になるので、スケジュール調整が重要です。 |
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最初に見たのはコエロフィシスの模型。小型の肉食恐竜、とのことですが体長3メートルにもなるそうです。三畳紀後期からジュラ紀前期に生息していた恐竜。 |
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この大きな恐竜はカマラサウルス。全長18メートル、体重20トンにもなる恐竜ですが、ジュラ紀の竜脚類としてはそれほど大きい恐竜ではないらしい。ブラキオサウルスも近い種のようです。が、ブラキオサウルスは全長25メートルにもなるんだって。 |
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こちらはティラノサウルスです。獣脚類の中で地球史上最強の動物の1つです。大きくなると体長は13メートルにもなったとか。 |
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左はティラノサウルスの歯。肉を切るために鋸歯と呼ばれるギザギザがあります。最初、歯じゃなくて爪かと思った。右はトリックス。このティラノサウルスの愛称です。 |
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左はトリケラトプス(たぶん)。右はプロトケラトプス。小型の草食恐竜でヒツジくらいの大きさだったらしい。群れで暮らしていて個体数も多く、肉食恐竜にたくさん食べられたっポイ。 |
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左はヴェロキラプトル。映画「ジュラシックパーク」で有名になった恐竜です。羽毛が生えていた恐竜らしいです。ということは鳥に近いのか?集団で狩りをする、というのは映画の中の創作であって、そのような化石は無いんだって。 |
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これはティラノサウルスの復元ロボット。結構リアルで瞬きしたり口を開けたりします。もっと激しく動くとびっくりかも知れないけれど、ゆっくり動くので子供たちもビビりません。 |
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左はエラスモサウルスかな。クビナガリュウというか長頸竜だそうです。全長は10mにもなるらしい。右はアラシャサウルス。白亜紀に居た獣脚類。草食恐竜だそうです。この恐竜も羽毛が生えていたらしい。体長は3-4m。まあまあ大きいね。 |
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左はタルボサウルスの頭。ティラノサウルスに似ているけれど、そこまでがっしりした顔のつくりではないので、噛む力がちょっと弱かったのでは?と考え垂れているそうです。白亜紀末期のアジア大陸ではタルボサウルスが食物連鎖の頂点にいたらしい。
右はゴルゴサウルス。この恐竜もティラノサウルスの仲間。頭骨の高さが低く、細長いのが特徴らしい。白亜紀の恐竜で、近くに同程度の大きさのダスプレトサウルスが生息していたので、共存していたのかも、らしいです。 |
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左もティラノサウルスの仲間でアパラチオサウルス。アルバートサウルスの仲間とされていたけれど、別種と2005年に分類されたんだって。ティラノサウルスの仲間っていっぱいいるんだねぇ。
さて、右の写真からは南米大陸の恐竜。白亜紀になると南米大陸は、それまで陸続きだったアフリカ大陸から分裂し、アンデス山脈はまだ形成されていない、という時期。アルゼンチノサウルスといった巨大な草食恐竜が繁栄し、肉食恐竜も進化を遂げたらしい。 |
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こちらはスピノサウルスです。背中に大きなヒレがあります。主に魚を食べていたようですが、草食恐竜の子供や翼竜を食べた痕跡も見つかっているんだって。何でも食べるんだね。
長崎市恐竜博物館は約1時間弱で見終えることができました。もっとゆっくり回っても良かったかな。 |
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ミュージアムショップに行ってみる。入口にヴェロキラプトルが居たのでパチリ。口を大きく開けてお客さんを威嚇していますね。 |
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駐車場の車に戻るとき、牛柄のキャンパーがやってきました。牛の柄って・・・牧場好きなのかな。右は駐車場脇にあった化石です。偽物だけどね。
では、お宿に移動しましょう。今日は車中泊ではなく、お宿を予約していますので。 16:00、出発。 |
路面電車 |
16:45、長崎市内に戻ってきました。ちょうど路面電車がやってきたのでパチリ。長崎電気軌道株式会社の路線です。全線で11.5kmだそうです。クマ兄さんの居住地には万葉線っていう路面電車が走っているんだけど、全長で12.9kmもあるのです。だけど、乗車人数が全然違う。長崎の路面電車は乗客がものすごく多い。経営は良い感じなのかな? |
にっしょうかん新館 梅松鶴 |
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17:00、お宿に到着。今日のお宿は「にっしょうかん新館 梅松鶴(ばいしょうかく)」です。ここに車での坂道が急だったね。長崎は坂が多いね。
では、駐車場に車を停めて、荷物を抱えて受付へ。 |
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外観はちょっと汚れていたけれど、まぁ、こんな感じでしょうか。館内に入るときれいに掃除されていました。玄関脇には龍がいました。長崎くんちで登場する龍かな?
チェックインを済ませ、部屋へ移動。結構遠い。 |
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部屋への廊下は和風です。今夜のお部屋は白鳳。部屋のネーミングが凄い。 |
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部屋は二間ありました。こりゃ豪勢なお部屋ですね。普段はこんなお宿には泊まれないんだけど、今回もANAのマイレージを使って手配したので手出しの料金はありません。うん、マイレージ様様です。 |
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窓際にはソファと机があってゆっくりできそうです。冷蔵庫が使えるので、車から持ってきた缶のお茶などを冷やしておく。 |
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窓を開けて長崎市街地を眺める。向かいには昨夜夜景を見に行った稲佐山も見えますね。長崎港や長崎駅が見下ろせる景色です。急な坂を登ってきただけあって凄い景色だ。 |
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夕飯の前にお風呂に入っておく。温泉だし露天風呂あるし、ゆっくり入れて良いお風呂でした。 |
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お風呂を出てペンギン姉さんとネコ娘を待っている間、ロビーにある売店を物色する。長崎ビードロが売ってました。メスフラスコみたいな形をして、吸ったり吐いたりしたらペッコンペッコンと音がするやつです。お土産にはちょうどいいかもしれないけど、家にあっても一度使ったら終わりかな。 |
夕食 |
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19:00、夕食会場へ。今夜の夕食は海鮮卓袱となっております。楽しみだ。
席について飲み物を注文し、しばらく待つとお刺身が運ばれてきました。マグロとハマチとタイかな。ホテルのお刺身にしては美味しかったです。 |
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前菜は胡麻豆腐やなます、白身魚の南蛮漬けなどさっぱり系の小鉢。長崎八珍というそうです。鯨白菜も珍しい。 |
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お食事をしていたらスタッフさんが写真を撮ってくれました。三人で写真撮れるのってこういう時くらいだから貴重。ついでにネコ娘も撮っておきました。もう高校生だからねぇ、ペンギン姉さんよりデカいんですよ。 |
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次の料理を待つ間、ビールを飲む。外はだいぶ暗くなってきた。しばらくまったりしていると大皿が運ばれてきました。 |
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左は長崎雑煮風大鉢蒸し。お餅、魚、エビ、シイタケ・・・などを大鉢に入れて蒸したものらしい。これ、いろんな食材の出汁が出てて美味しい。右は大海老のハトシ。食パンの間に食材を挟んで揚げた料理らしいです。今日は海老を挟んでます。これもウマいな。 |
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こちらは豚角煮と旬野菜の炊き合わせ。角煮が美味いね。甘い餡が絡んでいて、ベビーコーンやゆで卵もウマい。ご飯にかけて食べたい。 |
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最後は皿うどん。長崎の人はウスターソースをかけて食べるんですよって、ソースを置いていってくれました。確かにソースをかけると美味しい。 |
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〆はカステラ、葛餅、抹茶のおしるこでした。デザートもたくさんでてお腹いっぱいです。クマ兄さんがお腹いっぱいなんだから、ペンギン姉さんはパンパンになってるんじゃないかな? |
売店 |
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食後、三人で売店を物色。左の黄色い人形は「かすていら」っていうそうです。カステラのキャラクター?右は角煮まんだね。角煮の代わりに子豚ちゃんが饅頭に挟まっていました。 |
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こちらは長崎のご当地せんべい、長崎ちゃんぽん煎餅。美味しそうなんだけれど、ちょっと高そうなのと試食が無いので買うのはやめておきました。ちゃんぽん発祥の店、四海樓が監修しているそうです。四海樓なら昨日食べたから良いか、とも思ったし。 |
就寝 |
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夕食を終え、部屋に戻ると布団が敷いてありました。これは楽だね。部屋からは長崎市の夜景も一望できます。稲佐山のアンテナ群も青くライトアップされてます。
この後はテレビとスマホでグダグダ。いつの間にか寝たのでした。 |
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