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二日目 湖南


2018.5.5


 GW旅行二日目、そして最終日。今年のGW旅行は短いなぁ。でも、しっかり満喫するよ!今日は帰りが遅くなっても、明日は休みだし。ネコ娘は部活があるらしいけど。



サラダパン
 7:00起床。うーむ、ネコ娘の寝相が悪い。体が大きくなった分、寝相の悪さが辛い。なんで、ブランケットを首に巻いて寝ているのかも不明。首締まってないだろうな?生きてるか?

 大丈夫でした。

 では、洗顔の為にトイレへ。トイレの周囲にはキャンパーが停泊中。GWだから車中泊車が多いね。
 朝食はサラダパン。昨日つるやパンで買ったやつ。袋を開け、コッペパンの中身を見ると、本当にたくあんとマヨネーズだ。意外とあっさり味。たくあんの味はあまり強くない。これは朝食にぴったりだ。

 続いておさつおもち。サツマイモのペーストとお餅が入ってます。中のお餅がもちもちして美味しい。これも朝食にぴったりだ。

 最後にラスクで〆。サクサクラスクも美味しかった。

 つるやパン、パンの種類がたくさんありましたがどれもおいしそうだ。次は別のパンを買ってみようかね。


 8:00、出発。



安土城
 道の駅「せせらぎの里こうら」から50分、安土城に到着。今日は朝から安土城見学?登山をしようと思います。暑いからね、早い時間に来たのですよ。
 駐車場に車を停めて、安土城の入口へ行くと受付。安土城は有料のようです。安土城跡そう見寺というお寺が管理しているようです。信長が他所から移築したお寺だそうです。
 ペンギン姉さんは杖を借りて登山開始。最初の階段は大手道というそうです。

 9:00、登山開始。
 大手道は結構きつい。少し上っただけですぐに景色が良くなりました。じゃ、どんどん上ろう。
 大手道の途中に石仏があります。ちょっとクマ兄さんの影で見えにくくなってるけど。この石仏は、築城のときに大手道の石材として使われたものだって。発見当時の状態のままだとか。
 グイグイと登っていく。どんどん階段がきつくなっていく。ペンギン姉さん、杖を借りて正解だね。
 9:10、黒金門跡に到着。ここは安土城中枢部への主要な入口の1つ。石垣の石が大きいのが特徴。ここから先は信長と選ばれた側近たちが日常生活を送っていた場所だそうです。
 途中に佛足石というのがありました。室町時代中期のもの。築城当時、単なる石材として集められ、石垣に使われていたもの。かなり古いものらしい。
 本丸跡。天守台の直下にあり、千畳敷と呼ばれる場所で、本丸御殿があった場所だそうです。ちょっと狭い気がするけど、木が生い茂っているからかな?高床式の建物で天守取付台と渡り廊下でつながるなど、なかなか立派な建物だったようです。
 9:20、安土城天守跡に到着。ここにあった天守閣は地上6階地下1階、高さ33mという高層建築。イエズス会のルイス・フロイスが訪れたとき大変おどろいたそうです。しかし、完成してからわずか3年で焼けてしまったとか。その理由はいろいろあるようですが、はっきりわかってないそうです。
 それからこの基礎がある部分は地下一階。周囲の石垣の部分に地上一階部分が建てられていたそうです。
 地上一階部分にあたる、土塁に上がる。ここからは周囲の平野が見渡せてとても見晴らしがいいですね。木々が大きくて隙間からしか眺められないけど。
 これは能登川方面かな?安土城がある安土山は平野に囲まれていて、周囲は田んぼが広がっています。ここは攻めにくいお城だったんじゃ?
 9:30、下山開始。ここにお城があった時は建物がそびえたっていて、木々は無かったんだろうけど、450年ほど経った今では完全に山、森だな。
 下山途中、信長公本廟に立ち寄ってみました。二の丸跡にあります。天正11年1月、羽柴秀吉は新年のあいさつをするために登城。翌2月、この場所に太刀、烏帽子、直垂(ひただれ)などの遺品を埋葬して本廟としたそうです。羽柴秀吉って信長のことを慕ってたんだね。
 再び黒金門を抜けて下山していく。この先、上り道と下り道が分かれます。三重塔があるんだって。
 しばらく降りていくと三重塔が現れました。1454年建立だそうです。立派に見えるけど、結構ボロボロ。大正時代には突然崩落したこともあるそうです。大切にしないとねぇ。なにせ室町時代の建物なんだから。
 三重塔から徒歩1分、仁王門(楼門)が現れました。こちらは1571年建築という建物。金剛力士像も睨みを聞かせています。門と金剛力士像の両方が国指定重要文化財になっているんだって。
 仁王門を下からパチリ。なかなか立派な門です。三重塔より壊れてないし。
 10:00、大手門まで戻ってきました。石垣がとっても立派ですね。ここの石垣を散策している人もいるようですが、我々は天守跡まで行ったので足がプルプル。ちょっとここの石垣までは登れないなぁ。
 ということで、受付横から下界へ移動。なかなか面白かったね。登山靴を用意するまでもなく、普通の運動靴などで充分ハイキングが楽しめました。



安土城天主 信長の館
 10:30、安土城から信長の館へやってきました。普通車だと数分で到着できる距離ですが、うちのリラックスワゴン、東海道本線の下をくぐり抜ける地下道が通れなくて、ぐるりと15分ほど迂回して到着しました。
 入館料を支払って中に入ると、安土城天主の5階6階部分が再現されて展示されていました(左)。これは1992年のスペイン・セビリア万博の日本館に展示されたものだそうです。外観だけでなく内部の障壁画も併せて原寸大で復元してあるんだって。右は天主の模型。6階建てだったそう。この上の2階を再現したんだね。
 こちら、安土城を建築しているときの様子。城って都市計画を意味していて、戦争の施設じゃないんだって。そして、天守は政治・宗教・経済の体制を明示するための建築で、織田信長は特に「天主」と称して、新しい都市づくり、国造りのシンボルとしたんだそうです。巨大な石を大人数で人力で運ぶ様子は、ピラミッドを作ってるのとシンクロしちゃったよ。
 5階部分は仏教の世界観による理想郷を象徴しているそうです。宇宙空間を表す八角形。金箔の壁と釈迦説法図の襖絵に囲まれた総朱漆塗りの床。そこに畳が2畳。
 これが仏教の世界か〜。
 当時の食事の復元レプリカがありました。こちらは5月15日おちつき膳の三膳目。家康が1582年5月15日から6日間、安土に滞在しました。このとき接待役を命ぜられたのが明智光秀です。光秀は家康の接待に最大の心配りをしたのですが、信長は「将軍の御成のようで支度が行き過ぎている」と怒ったそうです。接待が終わった後、接待役を解任され、備中で毛利と戦っている秀吉の支援を命ぜられたとか。このときの仕打ちが原因で6月2日の「本能寺の変」が引き起こされたと言われているそうです。
 このときの三膳目がこれ。「かざめ」と呼ばれるワタリガニが中央に配されています。安土桃山時代の接待でよく見られたものだそうです。
 こちらは本膳。たこ、たいの焼き物、菜の汁、なます、香の物、ふなのすし、ご飯。なかなか美味しそうですな。
 天主をぐるりと回っていると、階段があって6階も覗けるようです。6階は金ぴかですな。では、階段を上ってみてみよう。
 6階部分には金箔10万枚を使用して「外壁」が造られています。ライトアップされてピカピカに光ってます。ちょっとやり過ぎじゃない?とも思う。屋根の上には金箔の鯱も取り付けられています。信長のピカピカ好きって恐ろしい。
 こんな立派な天主が本能寺の変の後、あっという間に焼かれてしまったというのはもったいないですねぇ。
 この信長の館には復元された天主の他に、VR安土城シアターが見ごたえありました。15分ほどの映像ですが、当時の安土城、家臣の屋敷、城下町などをCGで再現したもの。ポルトガル人宣教師のルイス・フロイトが天主へ向かう、というストーリーで作られています。これ、なかなか面白かった。

 最後に「織田信長の南蛮甲冑」をパチリ。なんと、段ボールで作られています。毎年6月に開催されるあづち信長まつりで織田信長役の人が着るんだって。



びっくりドンキー
 本日のお昼は・・・どこにしよう。事前に決めてなかった。ネコ娘に何が食べたい?って聞けば必ず肉!って言うんだよね。中学生の女子ってそんなもんか?
 車を走らせていたらびっくりドンキーがあったので、肉も食べられるしここにしようってことになりました。

 なぜかサイドメニューのびっくりフライドポテトも注文しちまった。ネコ娘、フライドポテトが好きなんだなー。クマ兄さんが子供のころは、こういうものは注文してもらえなかったなー。
 我が家はいつもディッシュ。エッグバークディッシュ(左上)はネコ娘。肉!肉!って言ってたのにエッグに惹かれたようです。
 ペンギン姉さんはいつもポテサラパケットディッシュ。クマ兄さんはペンギン姉さんが他のものをびっくりドンキ―で注文したのを見たことがありません。
 最後のクマ兄さんはレギュラーバーグディッシュ300g。いつもこれ。大きいのが好き。クマ兄さん、ネコ娘に負けず肉大好きです。


 



おかし市場 やまかわ
 食後、びっくりドンキーの横に面白そうなお店を見つけたので立ち寄ってみました。そのお店は「おかし市場やまかわ」。駄菓子の卸問屋みたいな感じ。
 店内に入ると棚はほとんどなく、床置きで段ボールがたくさん並んでいて、その上にお菓子がたくさん積まれています。これはワクワクするね!店内を15分ほど物色し、帰りの車中で食べる駄菓子を買い込んでしまいました。



太郎坊阿賀神社
 食事前、琵琶湖方面へ走っていたら太郎坊という標識があり、ちょっと惹かれたので寄ってみることにしました。事前情報はありません。神社っぽいんだけど・・・。近江鉄道の踏切では黄色い電車が走っていきました。800系電車ですね。
 踏切を渡り、参道を進んでいくと大きな鳥居がありました。この周辺にも駐車場があるようですが、地図を見ると本殿は山の上の方にあるみたい。ここから歩く?ってペンギン姉さんに聞くとイヤ、とのこと。上に駐車場があるならそこまで車で、とのことでしたので行けるところまで車で上がってみることにします。
 13:05、祈祷殿の駐車場に到着。ここが車で到達できる一番上っぽい。本殿まで行けない人はここで参拝しても良いんだって。とりあえず参拝しよう。
 祈祷殿には天狗が祭られてます。ここ太郎坊は山岳信仰の霊地として修験者が修行をしたんだって。その修験者の守護神が天狗。現在も神社の守護神だそうです。
 祈祷殿の脇にあった天狗の石像。これは参詣者が願いを早く成就するために奉納されたものだって。正面の御殿に参拝後、この天狗に願いを込めてお祈りをします。その後天狗のもつ神威玉を両手で触り、その手で体の悪いところを撫でるとか。クマ兄さんの悪いところは・・・頭か!
 では、本殿の方へ行ってみましょう。この太郎坊宮、正式な名称は阿賀神社。御祭神はアメノオシホミミ。この御祭神を守っていた天狗の名前が太郎坊だそうです。階段が整備されているから、体力さえあれば大丈夫だね。
 御朱印は参道の途中にある参集殿でもらうそうです。顔抜きパネルもあるので、記念撮影しておこう。天狗が筋斗雲に乗って飛んでるなー。
 参集殿の中には天狗のお面があちこちに飾られていました。この天狗が太郎坊かな。お土産に太郎坊こんにゃくというのもあるらしい。こんにゃくの色が赤いね。
 参集殿からは湖東平野が望めました。田園地帯だねぇ。日本はどこに行っても水田が広がっているねぇ。あ、北海道は畑が広がってるか。
 参集殿からちょっと上がったところに手水舎があったのでお清め。龍神舎というそうです。お清めも済ませて階段を上がっていく。
 階段を登っていくと大きな岩が見えてきました。あそこはどうやって通り抜けるのかな?
 大きな岩は夫婦岩というそうです。神様の力によって開かれたという大きな岩。幅は約80p。悪い心を持った人が通ろうとすると岩に挟まれてしまうとか。あぁ・・・クマ兄さん、そんなことを言われたら通るのが怖いよ。

 でも、ちゃんと通れました。
 夫婦岩を通り抜けると、その先に本殿があります。太郎坊宮の本殿です。あれ?拝殿は?まぁいいや。本殿に参拝だ。
 本殿に参拝する。本殿でもお守りなどを売ってました。ここからの眺めも良いですよ〜。
 本殿下には展望所がありまして、ここからも湖東平野が広がってます。ここまで駐車場から25分ほどでした。夫婦岩とかあってあっという間だね。
 帰りは裏参道からのようです。こちらの道も結構狭いね。岩肌をトントン降りていきます。
 降りてきた裏参道を振り返ると岩山の上に建物が建っているのが分かる。すごい場所にあるね。さすが修行をする場所だ。
 裏参道の途中にはいろいろな神様の石像がありました。左は寿老人。長寿の神様だって。右は毘沙門天。勝運の神様。
 帰り道の途中にあった一願成就社。お百度参りなどの願掛けはここにするそうです。一願とは、自分が心に抱く、ただ一つの、本当の願い事のこと、だそうです。入口の天狗の鼻がデカい。
 あとは階段をトントン降りて、いくつかの鳥居を抜けて、福禄寿や大黒天の神様に挨拶しつつ祈祷殿へ戻っていきます。
 ここは絵馬殿かな?あまり手入れされていないみたいだけど、よく見ると大正15年とか書いてあるから、結構古いものが飾ってあるようです。太郎坊だんごの売店用になっちゃってるのが残念。



 ということで、急遽立ち寄った太郎坊宮もなかなか楽しめました。御朱印も頂けたし。

 では、当初の計画に戻って琵琶湖方面へ行きますか。



滋賀県立琵琶湖博物館
 15:00、予定よりちょっと遅れて滋賀県立琵琶湖博物館に到着。駐車場は烏丸半島共通なので有料だけど、博物館利用者は無料にしてくれました。
 水辺の散策も面白そうだけど、博物館へ。入館料は750円/人とちょっと高め。
 A展示室に入る。ここは琵琶湖の自然と生い立ちを開設するエリアらしい。

 左の岩。実は化石です。化石林と書いてありました。約170万年前のもので、幹の直径が180pもあるスギ科の針葉樹。発見された場所にはこのような化石が130本以上あったんだって。
 右はしゅう曲という地層らしい。左右からギュっと圧力がかかった結果、地層がグニャグニャと曲がってしまったそうです。縞模様の部分が海溝に沈み込むときに強い圧力を受けて出来上がったものだとか。海溝に沈み込んだものがなぜここにあるんだろう???
 これは牡蠣の化石。30pもある巨大牡蠣です。食べたら一個でお腹いっぱいになりそうだ。
 こちらは黄河象の化石のレプリカ。200〜250万年前に生息していた象。実はこの象がいたわけではなく、ミエゾウという黄河象に近い象が生息していたそうです。肩の高さが約3.8メートルあって、現代のアフリカゾウ(3〜3.5メートル)より大きかったとか。日本にも象が生息していたんですねぇ。
 左はナウマンゾウの化石。東京都中央区日本橋の地下22メートル、地下鉄工事現場から発見されたとか。なんと!東京にも象がいたんですねぇ。右はありがとうございます。アケボノゾウ。とても小型。日本の固有種なんだって。
 アプライトという白い岩石の周囲が変色したもの。発見者が食パン石って名付けたそうです。お菓子みたい。
 烏丸地区深層ボーリング調査団の烏丸研究室が再現されてました。研究員のおじさんのパネルがあったんだけど、ネコ娘と同じくらいの背の高さ。ちょっと小さくない?
 現場作業員の作業服、ヘルメットを来て写真が撮れるので、クマ兄さんが来てみる。あまり違和感ない。というか、普段の仕事の格好と変わらない。うーん、イマイチ面白くない。
 採掘した岩石を偏光顕微鏡や実体顕微鏡で観察。ネコ娘はちゃんと顕微鏡を使えるかな?ペンギン姉さんは顕微鏡のプロフェッショナル、クマ兄さんも学生の時や会社に入ってすぐのころは顕微鏡を頻繁に使っていたので得意ですよ。
 B展示室へ。展示の内容ががらりと変わり、琵琶湖周辺の人々の暮らしの展示になりました。左は粟津貝塚。琵琶湖周辺の湖や池からは遺跡がたくさん発見されているんだって。湖底遺跡というそうです。鉄板で水を遮り、水を抜くと昔の遺跡が出てくるんだって。右はそうやって発掘された昔の道具たち。藁を叩いて柔らかくする横槌(よこづち)とか田をならすエブリとか、いろいろあるらしい。
 こちらは古代勢多橋。瀬田の唐橋はかつて勢多橋と呼ばれ、昔から都へ行き来したり、都を守るための大切な橋だったそうです。1988年に川底から発見されました。
 これらは琵琶湖周辺の名産物、かな。タケノコや山芋、ミカンなど。黒い饅頭のようなものにクルミなどが刺さっているけど、これはなんだ?
 こちら丸子船。江戸時代の中頃には琵琶湖には120の港があり、6000艘の船があったとか。北陸地方から米を運んだり、昆布や紅花なども運んだそうです。このサイズの船でそんなにたくさん運べるのか?
 こちらアメノイオご飯。近江の郷土料理で現在にも受け継がれているもの。魚を使った炊き込みご飯だね。
 これ、水車。人が上に乗って羽根を回すと水が田んぼに流せるってものです。人力か〜。
 美味しそうな琵琶湖の料理。左からふなずし、セタシジミごはん、イサザのお吸い物。琵琶湖は固有種が多いそうです。約60種類も固有種がいるんだって。琵琶湖は古代湖と呼ばれ、10万年以上の歴史があるそうです。普通の湖は1万年も経たずに消えちゃうんだって。ということで、琵琶湖は固有種が多く、とっても貴重な湖なんですね。
 ちなみに古代湖って世界中で約30しかないんだって。
 続いてヨシトンネルをくぐる。ここからC展示室。現代の生活と琵琶湖のかかわりを開設するエリア。ヨシって湖や川沿いに生えている竹みたいな植物のことだよね?ヨシを使った衝立とかすだれも琵琶湖の名産品です。
 左はナゴヤダルマガエル。トノサマガエルと似ているけど別物なんだって。これも日本固有の帰る。右はハッタミミズ。長さが25〜40p、伸びると80pを超える日本最長のミミズ。田んぼの泥の底に深く潜っているんだって。でも、田んぼに水を張ると畔に集まってくるそうで。ウナギ採りの漁師はこれを餌にするために大量に捕獲していた時代もあったそうです。
 昔懐かしのコーナーもありました。二層式の洗濯機や電子レンジ。二層式の電子レンジって今でもあるよね?ペンギン姉さんが学生のとき、アパートで活躍していたのは二層式の洗濯機でした。あの時代には既に全自動あったはずだけど・・・。
 左はマッキントッシュSEだね。懐かしい。クマ兄さんが学生のとき、研究室に置いてありましたよ。1998年ごろのことだけど。今じゃフロッピーディスクなんて見ないよねぇ。MOなんてのもあったな。




 
 ありゃ、黒電話もありました。ネコ娘、この電話の使い方知ってるかな?
 こちらは昭和初期の家かな?入ってみよう。クマ兄さんの祖父の自宅ってこんな感じだったような・・・気がする。
 左のデカい桶はお風呂だってよ。五右衛門風呂かぁ。クマ兄さんの母方の祖母の家は結構最近まで五右衛門風呂だったぞ!浴槽は現代風だったけど、薪でお風呂を沸かしてた。右は台所。釜でなんでも料理する。いいね。洗い物は大変だろうけど。
 列車旅の今昔。今はペットボトルでお茶を飲む時代だけど、昔は汽車土瓶っていうのでお茶を飲んでたんだって。汽車土瓶はクマ兄さんも経験ないなぁ。ポリ茶瓶までなら経験あり。
 さて、突然ですがビワコオオナマズが登場。これも琵琶湖の固有種。大きいんだけどあまりおいしくなく、臭みもあるため食用にしないんだって。
 左上はオオセンチコガネ。いろんな色があります。糞や腐肉などを食べる昆虫。色彩変異というらしくいろんな色があります。こうやって並べるときれい。

 右上はオオワシ。北海道で見たなー。琵琶湖周辺まで来るのかな?

 そして日本の獣たち。アカギツネ、タヌキ、アナグマは定番ですね。


 
 ここから水族展示室。ほぼ水族館。トンネルを歩いていると、大きな鯉が泳いでました。
 左のニョロニョロはウナギかな。右はウキゴリ。琵琶湖の岸辺や河川の底に住んでいる魚。琵琶湖ではイサザ。
 鯉がたくさん。
 こちら、琵琶湖の魚を販売する魚屋さん。魚屋さんで鮒ずしも売ってるんだって。
 魚屋さんらしく、イサザ、セタシジミ、マブナ、イワトコナマズ、鯉などが並びます。右側は魚屋さんらしくない?鯉の筒煮、ホンモロコの素焼き、えび豆などの調理されたものも並んでました。どれもご飯に合いそうだね。
 このデカいのがビワコオオナマズですね。食べられないのか〜、残念だね。大きいのに。
 まだもう少し見学できるエリアがあるんだけど、17:00になっちゃった。閉館の時間です。あっという間の二時間でした。最後にミクロの世界をチラッと見て退館します。ミジンコ、ミドリムシ・・・ちょうどネコ娘が中学校で勉強しているやつだ。



帰路
 琵琶湖博物館を出て、栗東のICまでの途中でスーパーによる。夕飯のおかずを買っておくのです。あと、夕飯のご飯を炊飯器にセットする。しばらく走れば夕飯が出来上がります。

 18:00、栗東ICを通過。名神高速道を東へ向かう。
 名神道を走り始めてすぐ、近江富士(三上山)が見えてきた。この山の頂上付近に雪が積もると、関ヶ原にも雪が降るって教えてもらったことがあったなぁ。
 なんて思っていたら渋滞。GWだしね、渋滞くらいはあるでしょう。新名神ができても渋滞はするんだねぇ。
 名神道から北陸道に入ると渋滞も解消。じゃ、お腹もすいてきたし夕飯にしましょ。

 19:20、神田PAで夕食。今回も揚げ物と野菜だね。安いものを探すと地元の名産品には手が出ないなぁ。残念。でも、三人で1,000円くらいの食費に抑えられるから車中食はやめられない。

 食後、かしわ餅を食べておきました。だって、今日は子供の日だもん。

 食事を終えたらすぐ出発。明日、ネコ娘の部活があるので今日中に帰宅したいところ。

 11:05、自宅に到着できました。まぁまぁ疲れたけど、1泊2日だとちょっと物足りないよね。今回の走行距離は716qでした。



一日目
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